◆労音「50周年記念演奏会」に初参加して

とうとう「AN DIE FREUDE」のフィナーレを迎えた。円光寺先生のタクトに従い、最大級の速さで最後の力をふりしぼり熱狂的に歌いこんだ。
とにかくテンポが速く、次々と出てくるフレーズに乗り遅れないように必死だった。最後はリズム良く、力強く歌いきれたと思った。歌い終わったときは一瞬、放心状態におちいってしまった。

本当によい体験ができた。「第九」に思い切ってチャレンジして良かった。最近には経験したことが無い、すばらしい「感動」を味あうことができた。私は初心者だが、ヘタはヘタなりに「全力を出し切った」と思った。
改めてベートーヴェンの偉大さ、すばらしさを再認識した。これが全てだ。

指揮者合わせのとき、私自身も、どうにか暗譜して皆についてゆく事ができたと思ったが不安材料をいくつか抱えていた。
5ヶ月に亘る稽古は、私としては珍しくまじめに、通算すると20数回参加したことになるが、その程度で「第九」が歌えるなどと自惚れてはいない。「楽聖」といわれるベートーヴェンは、そんな生易しい音楽は書いていない。
しかもこの曲は彼が残した最後の交響曲の「最後の楽章」なのだ。合唱に与えられた音楽的な条件は過酷だと思った。未熟者の私には難しすぎた。

「稽古ごと」は何でも上達することが目的だ。しかし、上手くなる条件は指導の良し悪しではなく、あくまでも自分自身の問題だと思う。指導者の持つ意図やスキル、センスなどを自分で吸収し、反復稽古し、身につける努力なくして上達の道はないと思う。今流に言えばこれはすべて「自己責任」の問題なのだ。
これは分かっているのだが実行は難しい。私は4名の指導者の方々から最高のレッスンを受けることができた。

団員の層は広く混声、かつ私のような初心者から何回もステージを体験した大ベテランまでいる。レベルが異なるメンバーに合唱団という「チーム」として最大の力を発揮しうるような稽古をつけるのは並大抵なことではなかろう。
すばらしい感動を与えてくれた指導者の方々に改めて「有難うございました」と心からお礼を申し上げたい。