沖縄のことを考える

1945年の4月になると米軍が沖縄に上陸し、多くの一般人が死亡、島の日本軍は全軍ほうほうの体で退散した。
この時の悲劇は後世詳しく伝えられているが、沖縄を旅行したとき史跡を回り、バスガイドや土地の人からその時の様子を直に聞くことができた。


当時の日本軍は一般国民を守るどころか、自分らはガマという洞穴から人々を追い出し、逃げ込み、雨あられと降りかかる米軍の砲弾から身を守り、一方何の罪もない一般人は大人はおろか女子中学生などまで戦闘要員として動員し、伝令などに使い最後には尻尾を巻いて逃げ出したという。「敵前逃亡」という最も恥ずべき行動であり、軍隊ではなく烏合の衆と化したとの事だ。地元の人々は今でも深い怨念を抱いていると説明を受けた。その昔、琉球王国が、わが国に併合された時代から、本土の「捨て石」だったとも説明していた。
未だ若い女性ガイドだったが怒りを満面に表し、迫力があり説得力があった。真に酷いことをしてきたものだ。身の毛のよだつような残虐さだ。これが罪もない一般市民である同胞に対する日本軍隊の仕打ちなのか…  信じられない思いだ。
私は其の話を聞き改めて沖縄の人々の悲劇と悲しみ、深い怨念を知ることが出来たのだ。と同時にわが国によって侵略を受けた近隣諸国が戦後60年も経過した現在なお、わが国の軍事化を強く懸念する気持ちも理解でなくはないと感じた。

占領されていたこの土地が米軍から返還を受け、本土へ復帰を果たして久しいが、未だに沖縄県は米軍基地の町で本土並みとは程遠い存在である。