幹事の分部兄からの依頼で10日に挨拶の予定

久しぶりにお元気なお顔を拝見して大変うれしく思います。
本日は各地から  名のご参加を得ましたが、この数は過去行われました同期会の中では最も多い人数とのことです。

「みよみよ立教自由の学府」のほうは一段ときれいになりご同慶に耐えません。
この会場に来るときに自宅から歩いてきましたが、道すがら駅からは反対方向から立教通りを散歩してきますと、すっかり見違えるほど整備され美しくなりました。学生の姿かたちも変わりましたね。男の子はオンナっぽくなりましたし… 女子が増えたのは結構なことですが。

私が中高6年間教育を受けた校舎はとっくの昔に取り壊され今はモダンな校舎に生まれ変わって、当時を偲ぶものは何一つありません。少しさびしい気もしますが、ま、このことは大変結構なことだと存じます。発展しているのでしょうね。ただ子供が少なくなるとどうなるかは分かりませんが…

実はこれは全く私的なことですが、私は昨年70歳の古希を迎えたのを契機に何か残そうと考え、今お流行の「自叙伝」でも作ろうと考えましたが、出版にはかなりの金もかかりますし本を送られたほうも多分迷惑だろうと考え、HPを立ち上げ、ここで「思い出話」というコンテンツを書き始めました。
書いてみて感じたことは、自分史と言うのは客観的な史実ではなく勝手な「創作時系列物語」だということです。やはり自分のことを書いて残すとき余りにもみっともないことは残せないと言う意識が働きます。実際は失敗や挫折の連続だったにも拘らず、手柄話みたいなことや成功談などを中心に書いてしまうのです。こんなのを読まされるほうはたまったものではありません。すぐにポイされるのがおちです。だから本にはしませんでした。

年代を追っていくつかは公開しておりますが、これ等は殆どを記憶に頼っております。
人間の記憶力と言うのはそうバカにしたものでもありません。昔のことでも、不思議なことに特に学校で起きた節目節目のことはのことはよく覚えております。最近の出来事よりそのまた昔のことの方が記憶が鮮明です。一番記憶にないのは「サンデー毎日」になってからの日々で、その前は会社生活が長かったのですが覚えているのは「転勤したとき」のことだけです。
次に不確実なのは大学時代、次は高校、中学とさかのぼるほど記憶は鮮明になってきます。何故だか分かりません。

特に国民学校疎開先での出来事は鮮明に思い出すことができるのです。それだけ感受性が強かったのだと思います。
昭和7・8年生まれと言うのはお互いに今のわが国では考えられない不思議な時代を体験していると思います。
戦時体験です。戦争体験ではありませんが「銃後の体験」です。戦争の最中を国民学校というところで過ごした体験です。今の子供にはとても体験できないような力仕事も数多く体験し、精神的にも肉体的にも鍛えられたと思っております。少し今の北朝鮮に似ております。

現代日本は「平和ボケ」と言われますが、そのこと事態は悪いことではありませんが、こんなことでわが民族は大丈夫なのかな…と時々心配になります。
それだけトシとったと言うことかもしれません。70を過ぎますともう前途洋洋とは行きませんがすべてがオワリというものでもありません。
まだお仕事をされている方もいらっしゃることでしょう。我々の培ってきた知識や体験を生かし、ますますご活躍をまた「サンデー毎日」の方は、何らかの生きがいを持って前向きに生きてゆきたいものです。
本日はごゆっくりご歓談され、明日からの元気を得られたらと念願する次第です。